14回目は、「竹炭工房 三代目伝徳」さん。
おじゃますると、出展者インフォメーションに写真を掲載しておられる
岩崎賢二・麻奈美御夫妻に、ご両親の岩崎巧・光代さんが、温かく出迎えて下さいました。
Q: 三代目伝徳ということは、最初は木炭をつくられていて、竹炭に変わっていったのですか?
(岩崎賢二さん)
「いえ、竹炭を焼きはじめたのが、
ここにいる4人で5年前からなんです。」
(岩崎光代さん)
「この人(巧)の父は木炭をしていたので、最初から
炭焼き自体には馴染みがあったのですけどね。」
Q: では、屋号の由来は?
(岩崎賢二さん)
「ここ綾部には竹林が多く、少し窯の煙はたなびきますが
人里から離れていて、竹炭を焼くには本当に立地条件が
良い場所なのです。
だから屋号は、ここに家を建てて下さった御先祖様の
名前からつけたいと思っていました。
父(巧)の曽祖父の名前が伝兵衛、
おじいちゃんの名前が徳蔵。それにちなんでか、
父(巧)の祖父はニックネームを『伝徳』とつけられ、
近所の方々からもその名で呼ばれていたのです。
ならば、父(巧)は『伝徳さん』から三代目にあたり、
御先祖様全ての名が刻まれている
『三代目伝徳』が屋号に相応しいと決めたのです(笑)」
Q: なるほど、そうなのですか。では4人の中で、誰が最初に竹炭をやろうと言い出したのですか?
(岩崎賢二さん)
「僕がサラリーマンを辞め、
中国内モンゴル自治区で植林活動など
をしているNGO団体の後援会を
ボランティアで手伝っていたんです。
そしたらその講演会に、あまり興味も
なかったはずの両親が参加したんです。
これだけでも不思議なのに、
今度は植林のためにモンゴルまで行くと
言い出し本当に行きました。(笑)
帰国後、モンゴルでの様子を聞こうと
したら、植林話でなく
モンゴルで新野惠さん
(私たちの竹炭の師匠です)と知り合い、
その方に聞かされた竹炭の話に感銘
したので、今度は竹炭を作るぞと父が言い出したのです。(笑う)」
Q: それであなたは?
(岩崎賢二さん)
「その話の内容を確認しようと、新野さんの居られる宇部まで行きました。
ですが、戻った時は綾部に窯を作る日程まで決めてしまっていました。(笑)」
Q: へぇ~、笑うよりも確かに不思議な話ですね。
では、そうして始められた『三代目伝徳』さんの、竹炭へのこだわりは?
(岩崎賢二さん)
「限りなく可能性をもつ竹炭に対して、色々な試行を
しながらその可能性を引き出して作ることが、
今のこだわりです。」
Q: たとえば?
「この綾部の竹藪に育った約3~4年ものの孟宗竹のみ
を使い、竹炭を焼こうとすること。また、窯の薪も
竹炭に使わない若い竹や老いた竹を使うこと。」
Q: 薪も竹を使っているのですか、
ではその作業も大変ですね。
(岩崎賢二さん)
「母は以前、のこぎりさえも手にしなかったのですが、
今ではベテランになっています。(笑)
それと、竹は夜に月のエネルギーで育つと言われている
ことから、窯に火をいれる日にもこだわっています。」
(*窯には新野さんにより『かぐや窯』と名前が
ついているそうです)
Q: それはどんなこだわり方なのですか?
「種蒔きや病気の人が薬を飲み始めるのは新月の日が良い
というように、月の満ち欠けには古くからの言葉で
説明しきれない力、作用があると伝えられています。
ですから、
窯の火入れは新月と満月の月2回しかしません。」
Q: では、手づくり市や梅小路に出展された
きっかけを教えてくれますか?
(岩崎賢二さん)
「竹炭を焼き始めて半年位の時に、
綾部近くに市があって一度出てみました。
こちらにも百万遍さん、梅小路の市の話は
聞こえていましたが、そこで知り合った方からも
勧められたこともあり、出展しました。」
Q: 手づくり市に出展されての感想はどうでした?
(岩崎賢二さん)
「本当にお客様が僕らを育てていく市だと
思いましたね。要望を出されるお客様が多いですし、
答えていないと『いつもと同じね』と言われちゃいます。
他の市に出た時、百万遍さんに出ていることが信用になったりしていることもあります。
店を持たない自分たちには、ここに出展している実績は大切なことと痛感しました。」
Q: 竹酢・石鹸・ペンダント・マドラーと
色々と商品化されていますよね。
(岩崎賢二さん)
「そうです、竹炭の持つ生活を豊かにするための
可能性に惹かれています。
特別な差別化はないですが、
スピリチュアルなことはお客様との交流の中から
教えてもらうことも多いです。
これも、市ならではのことですね。」
市ではとても必要なことですが、サラリーマン時代に管理のお仕事をしていたと聞きましたが、
営業の仕事の間違いではと思いますね。(笑)
今日はありがとうございました。