おじゃまします!手づくり市出展者さま Vol.73「木工房ウタリ」

もともと深川の大工の家系だったという遊び心いっぱいの作品を手がけている
「木工房ウタリ」さんの工房におじゃましました。
道具の中にはお父様が使っていた道具もあるそうです。

Q. 村松さんが木工品を作るようになった
きっかけを教えてください。

「美術系の高校を出て漫画家を目指しましたが、3年ほど修行したのち、グラフィックデザイナーの仕事を始めました。その後、グラフィックデザインの仕事もデジタル化へと移行が進み、自分の残る作品を作りたいという気持ちが湧き上がったことと、趣味のアウトドアでバイク、カヌーにのめり込んだことから、田舎で暮らしながら『ものづくり』を始めたいと漠然と考えていたそんな折、木工所の仕事を紹介されたのがきっかけでしょうか。それから30年近く経っています。」

Q. 始めの頃は何を作られていましたか?

「木工所で働き始めた頃は、公園等の遊具(ブランコ、滑り台など)を作る手伝いをしていました。その時に機械の使い方の基本を学びました。その後、結婚を機に、家具会社に勤めるようになり、家具の作り方を学びました。家具といっても船の中に収める家具が多かったため色んな形を作る方法が身につきました。普通の家具の作り方にプラスアルファの技法を学んだので自信がついてきました。」

Q.村松さんと言えば、木製のカッターナイフと連発ゴム銃の
イメージを私は持っているのですが、この
二つを作るようになったきっかけはなんですか?

「息子のおもちゃに最初は木馬を作ったのですが、大きくなるにつれ、何を作ろうかと考えていた時に、ゴム鉄砲の4連発式のものをどこかで見て、それが頭に残っていたので作ってみようと思ったのが連発ゴム銃を作り始めたきっかけです。試行錯誤して今の形になり、8連発ができた時には息子や息子の友人にも評判が良かったです。」

「カッターナイフは、ギャラリーに作品を置いてもらっていた際に担当の方から他にも何かないですか?と聞かれて、思いついたものです。

どうやって作ろうかと考える時など、ホームセンターに行って色んなものを見ているうちにアイデアが膨らむのですが、カッターナイフの時もそうでしたね。サイズ感や使いやすさだけでなく、より多くの人に使って頂く為に、右利き用と左利き用の二つのタイプを制作しています。」

Q.村松さんのお店はどんな年齢層の方が足を止められますか?

「男性のお客さんが多いですね。昔ゴム鉄砲をやったことがあり懐かしいと足を止めてくださいます。連発ゴム銃を見ては、連発発射が夢だった。と言われたりします。そこで、実際に連発ゴム銃を触ってみるとびっくりしてくれます。

まず、お父さんが興味津々。それから息子さんも興味を持ってくれます。遊び心がある作品は、年齢は関係ないですね。知恩寺(百万遍さん)では女性のお客さんが多いですが、女性の方も足を止めて、お父さんやお子さんのお土産にと買ってくださいます。」

Q. 手づくり市に出展されるようになったのはいつ頃ですか?

「神戸の造船関係の会社の多くが縮小され、働いていた会社も神戸を去ることになり、注文家具の受注の生産量も減ってきた状況もありました。独立して自分でなんとかしないといけないなと思っていた頃、丹波でアート・クラフトフェスティバルがあることを知り、こういう売り方もあるのだなと知りました。それから、全国あちこちのクラフトフェアに出店を続けていき、そこで知り合った仲間から百万遍さんの手づくり市を紹介されて出展したのが10年ほど前です。最初の出展時に、予想外に売れたので、びっくりしました。その時のお客様のニーズにあったのだと思います。」

Q. ウタリと言う屋号は命名にどんないわれがありますか?

「アイヌ語で『仲間』、『同胞』、『集まり』です。アイヌのネイティブな人たちが、自然のものを利用して生きているというライフスタイルを自分は気に入っていて、そんな生き方を尊敬しています。工房を作る際にそんなことが浮かび上がってきて屋号にしました。」

Q. 最後に、
これからの目標がありましたら教えてください。

「現状をつつがなく続けられたらいいな。と思っています。いずれ、体力的に厳しくなった時は、自分が面白いと思うもの、好きなものだけを作っていられるといいですね。理想はからくり細工のようなものを集めて、子供たちに楽しんで遊んでもらい、作り方を教えられるようなスペースが作れたらいいな。と思っています。」

子供の頃に感じたモノに対する価値観は、大人になっても自分の価値観として息づいているので、子供の審美眼を大切にしたいとおっしゃっていた村松さん。手づくり市に参加しているような、ものづくりの技術者が集まった『ものづくり村』があると楽しいだろうと話は尽きませんでした。

掲載日2018.4.13

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