おじゃまします!手づくり市出展者さま Vol.56「アトリエ 「セレネッラの咲くころ」

イタリア大好きな御夫婦の中島雅幸さんと中島久代さんの京都西陣にあるハンドメイド
フェルトの工房「アトリエ セレネッラの咲くころ」におじゃましました。
羊毛に出会って20年、でも奥が深く飽きることがありませんと、
笑って話して下さいました。

Q: アトリエ セレネッラの咲くころと言う
屋号のいわれを教えて下さい。

(久代さん)
「敬愛する作家、須賀敦子さんの
 珠玉のエッセイ集<トリエステの坂道>
 のなかのひとつの章のタイトルを、
 僭越ながらですが、いただきました。」

Q: セレネッラの意味は何ですか?

(久代さん)
「南イタリアの方言でライラックの花のことです。」

Q: 手づくり市でご夫婦をお見かけした時は、
Tシャツに手描きで素敵な風景を描かれている
作品が印象としてあるのですが。

(雅幸さん)
「最初のころは、僕の手描きの絵や書や、イタリアで
 スケッチしてきた風景画をプリントして販売していました。

 僕は大学を出てからサラリーマンになるより、
 高校のころから絵や小説や音楽など、何かを表現する
 仕事をしたかったのです。
 若いころは、漠然とですが、小説を書きたいと思いながら
 世界中を旅しました。日本に戻ると旅の資金を稼ぐために、
 そのころ景気のよかった手描き友禅の仕事を見つけ、
 稼いでは旅をし、帰国してはそのバイトを続けたのです。
 元から絵を描くことが好きだったこともあり、
 手に職もつくと考え手描き友禅の道に入りました。」

(久代さん)
「私はフェルト創りをしていましたが、夏場にフェルトは
 暑すぎると思い、出品していなかったのです。」

Q: どうしてフェルト創りを始められたのですか?

(久代さん)
「友達に誘われ、色々なことを教えてくれる
 染織家の倉谷先生の所へ週に1回程度通い
 染めや織りを教えてもらいました。
 その中にフェルトもあり、私にとって一番興味がもて、
 面白かったんです。

また、京都にはジョリージョンソンさんや
 坂田ルツ子さんなどがいらして、先生方の講習を
 受講できたり環境が良かったこともありましたね。」

Q: 友禅作家として仕事をされていて、
 それから奥様の仕事に参加されたのですか?

(雅幸さん)
「僕が手描き友禅の作家として個展をしていた時に、
 妻の創ったショールも出品していました。
 高価なものと手ごろな価格のものがあり好評でした。

 しかし、2000年頃からは時代も変わり、
 高価な着物は全く売れなくなってきました。
 そこで呉服業界に見切りをつけ、
 妻の仕事を手伝いながら、友禅で培った感性で、
 独自のフェルト創りを始めました。」

(久代さん)
「私は最初にマフラーを作ったのですが、
 楽しくて仕方ありませんでした。
 自分のアイディア次第で
 色々な可能性が広がるフェルトに
 より魅かれていきました。
 それでやれるところまでやろうと決め、

そして二人で2008年に
 町屋の屋根裏を仕事場にし、
 通りに面した1階をお店としてオープンしました。
 そして翌年にはじめて手づくり市に出展しました。
 主人は今、近所にあるアトリエ、ショップ、
 教室が9部屋ある藤森寮の一部屋を
 仕事場にしています。」

Q: 手づくり市はどうですか?

(久代さん)
「色々な方と出会えることで仕事が広がると思えています。
 お客様は“これ好き!面白い!”と求めて下さる個性的な方が多く、お話もはずみます。」

Q: ご夫婦が一緒に仕事をされて
良かったことは何ですか?

(雅幸さん)
「個性が全く違うので商品の幅が広がることですね。
 私は日本的な配色が好きで、それをどう生かしたら
 売れるかが経験値からわかります。職人気質なのです。
 彼女はレースとかリボンという
 色々な素材が好きなので
 それを生かしてアート感覚で創作していますよ。」

(久代さん)
「私は雑誌や映画、街のウインドーショップなどから
 イメージ発想し作りだしています。」

Q: これからの目標があれば教えてください。

(雅幸さん)
「ご縁があって、黒柳徹子さんの衣装を年に何枚か
 作らせてもらっているのですが、彼女に気に入って
 いただけるようなオシャレなものをこれからも
 作っていきたいと思っています。

 それからもうひとつ、知り合いの方を通じて、
 イタリアのフレンツェやアレッツォで
 展覧会を開ける道が見えてきました。
 まあ、旅の費用がでればそれで満足なのですが、(笑)」

本当にイタリアが大好きなご夫婦ですね。
是非おふたりの夢が叶いますように!!

掲載日2016.11.13

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