おじゃまします!手づくり市出展者さま Vol.1京都鞄店「小野正人」

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Q:早速ですが、小野さんはもともと芸術大学の彫刻科でしたのに、どうして鞄という柔らかなものに移行していったのですか

「ははは、それはですね、大学在学中から展覧会や個展などを始めて、卒業後もアトリエを構えて彫刻で生活をしようと思ったんですけど、社会人になってからは、生活費やアトリエの維持費を稼がないといけなくなって、これが結構かかるんですよ。普通に作品を作って生計を立てようと思っていたんですが、自分の作りたいものを作っていてはなかなか売れなくて、相性の良い画商さんを探し始めたんです。そこでどこの画商さんにも、「人気のあるモチーフや売り易い大きさの作品にしたほうがいい。」などと言われました。自分の思い通りのものを作りたいと思って始めた彫刻が、結局、売るためにこう作れと言われると、最初のやりたいことをやるという主旨からは外れてしまうんで、だったら、高校の時から、友達に作っていた鞄で作りたいものを作って売ろうと思ったんです。」

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Q:女の人は自分のもちたい鞄が欲しいから、お母さんからミシンを借りてつくる人もいますが、男性がミシンというのは、珍しくはありませんでしたか?

「高校生の頃、家には家庭用の重い、ちっちゃなミシンがあって、それを母から取り上げて、当時流行っていた有名なブランドの鞄を、自分で生地などを探し出して、本物と見間違うくらいのコピーを作って、友達に見せて「どっちが本物でしょう?」という遊びをやっていたんです。その時に覚えた技術や記憶もあったんで、特に抵抗なく鞄を作ろうと決心できたんだと思います。しかも、金具は外注でなく自分で作れますから、それを強みにしてやろうかなと思ったんですよ。」

Q:じゃ、鞄づくりは独学ですか?
それとも何処かに修行へ?

「はい、鞄は全くの独学です。店に売っている気になった鞄を複製することから始めました。僕は、小さい時はガキ大将兼「折り紙博士」と呼ばれていたんですよ。それに小学生の時は、教科書に載っているサッカーボールを見ただけで、直ぐに展開図が頭に浮かんで、紙でサッカーボールを作っていました。だから、作りたい鞄の展開図も頭の中にすっと浮かんでくるんです。」

思い出を振り返り、屈託のない笑顔で話してくれました。
何を習うではなく、小野さんの隠れた才能が鞄を作らせてしまっていたようです。
小野さんは男三兄弟の真ん中!男兄弟で育ったやんちゃなガキ大将であっても、
西陣に育ったという環境がすんなりと鞄をつくり始めることへ繋がったのかもしれません。
これも、ある意味では型破りなのかもしれません。

彫刻をやめ、バッグブランドの立ち上げを志した小野さんは、売る場所を探していたところ、
友達から「百万遍さんの手づくり市」の存在を知らされたのです。

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Q:手づくり市への出展のきっかけは
何だったのですか?

「最初は友達に誘われ、出展の申込をすぐにしました。今思えば申し訳ないほどの革製品とステンレス素材の指輪などを販売していました。でも、初回は一つも売れませんでした。隣の鞄屋さんがどんどん売っていく姿を横目で見て、この人よりも売ってやろうと思い、それを目標にデザインや素材選びを模索することになりました。」

Q:じゃ、最初につくった鞄には、
現在のシンボルであるカラスの柄は
なかったのですか?」

「そうですね、カラス柄は最初はありませんでした。当時のアトリエの周りが田んぼで、そこにカラスがたくさんいたので、それをモチーフにして、デザインを興しました。そこから、自分の生まれ育った西陣の地場産業である西陣織でこのカラス柄を織ってくれるところを探し、今の鞄の生地になりました。」

徐々に手づくり市で手応えを感じてきた小野さんは、コンペ企画「神戸ドラフト!7」に応募し、最終審査を通過、全国の大丸百貨店よりデビューします。百貨店進出後も、他へ手を伸ばすことなく、手づくり市・フリーマーケットを活動の場として地道に力を蓄えていきました。仕事が軌道に乗った小野さんは、人生のパートナーを見つけます。奥さんが会社経営に力を注ぎ、小野さんは鞄づくりにいっそう精をだします。

日本の小野正人ではなく、世界の小野正人になるために、「世界最高峰のバッグブランド『小野正人』を京都から輩出する」を目標に掲げ、京都府から資金援助を受けてパリコレ出展に向けて二人で準備を進めています。

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Q:鞄づくりへのこだわりは?

「僕にしか出来ない鞄づくりをしようと心がけています。金属彫刻をしていたときのノウハウを生かした金具もそうですし、西陣織を織り方の組織から細かく注文をして裏表使えるような軽くて丈夫な素材に開発することは、西陣に生まれ育った僕にしか出来ないことだと思います。自分の経験してきたことが鞄に表現されているようなものづくりを続けて行きたいと思っています。」 何の気負いもなく、そう話してくれました。

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Q:小野さんにとってのパリコレへのきっかけは?
何だったのですか?

「まず鞄屋を始めるにあたって、日本のバッグブランドで世界に通用しているものが一つもなかったから、僕のブランドが世界最高峰のバッグブランドになろうと思ったのが切欠です。それを考えた時に、パリ・コレクションで発表して世界中で評価をされていくことが必要不可欠だと考えているので、特別なことをやっているという感覚はなく、パリコレに出すことは一つの通過点だと思ってます。実際は、まだまだ力不足ですし、現在パリコレに出展している他ブランドとの差は大きいと思います。当面の目標は他のブランドに追いつき追い越すことです。その結果、僕が無名の頃に価値を見出して愛用してくれているお客さんに喜んでもらいたいです。」

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